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◎美術作品との出会い: 人間は狩猟採集の生活をしていた時代から美術的(今日的な見方をすれば)な表現を行ってきました。それらの表現は主に人間の素朴な「願望」を目に見える形に表したものだったと考えられています。例えば、フランス・ラスコーの洞窟壁画。大きな牛や鹿など大物を捕獲したいという狩猟生活の願望や、不猟が続いたときの祈りとして描かれたものと解釈されています。 また精神的な思想を表現したものとして、様々な宗教的、呪術的な表現があります。例えば、オーストラリアの先住民アボリジニの壁画・ネイティブアメリカンの壁画・日本の土偶などがそのように考えられます。 また民族の歴史を記録するための様々な表現があります。例えば、エジプト・インカ・アステカなどの遺跡に見られる絵文字や絵画、彫刻表現など。 人間ははるか昔から様々な造形表現を行ってきていますが、それらを「作品」と呼ぶようになったのは実はずいぶん最近のことなのです。 |
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美術表現は300年ほど前から少しずつ姿を変え、現在に至っています。 それ以前の美術は完全に職人の仕事で、いわゆる「技術」だったのです。かつての美術家は時の権力者と深く関わっていました。写真もない時代には例えば肖像画や彫刻として自分の姿を残そうとする権力者が、お気に入りの美術家を召抱えていたのです。また様々な宗教においてその宗教観を絵画や彫刻とし、広く一般に普及する役割を担っていたのも美術家です。かつて宗教は国政を左右する非常に重要な位置づけがされており、それを表現する美術家もまた特別な存在だったのです。ですから美術家の社会的地位は非常に高いものだったのです。ミケランジェロなどはそのよい例でしょう。 しかしそのような権力との関係は様々な革命などによって時代の変化とともに失われてゆきます。絶対君主制の廃止や民主化、政教分離の考えが美術家の社会的位置と役割を変化させました。それまで権力者によって擁護(パトロン制)されていた美術家は、実質的に職、社会的地位、社会的役割を失うことになったのです。 一方で、それまで一部の上流階級のステータスシンボルだった美術が、広く一般化されることにもなりました。「自分の家にも絵がほしい」「自分の肖像画を残したい」といった庶民からの需要が生まれ、美術は少しずつ庶民の生活の中に浸透していったのです。美術家たちはそういった需要を頼りに生活するようになります。それまで雇い主の好みに答えることが義務付けられていた美術家は、束縛から解放されたことで、自由な表現ができるようになりました。また生活の安定よりも自分の表現を追及したいと願う多くの美術家たちがやがて「作家」となり、初めて今日的な意味における「美術作品」が誕生するのです。 |
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日本の場合: ここまでの話は主に西洋の歴史ですが、日本の場合も同様で、戦前まで日本の美術家はほとんどが職業画家で、今日的な作家という概念ではありませんでした。代表的な人物として葛飾北斎なども、「絵師」と呼ばれる職業画家でした。特に日本画の世界では何百年という間築き上げてきた文化的背景があって、制作は主に注文制でした。(現在でもその習慣は残っています。) 戦前の美術教育では絵手本をひたすら模写することが当たり前でしたが、徒弟制だった絵師の世界では、個性は必要とされず、優れた表現を体で覚え、継承してゆくことに重点が置かれていた日本画の歴史の名残なのです。しかしそれでも、戦前からごく一部の美術家が、西洋美術を学ぶ中で、西洋の「美術作品」「作家」という考え方に触発され、表現の自由に目覚めていったことも事実です。 美術の歴史を簡単に説明してきましたが、つまり、現在当たり前に使っている「美術作品」という表現自体が、実は非常に新しい考え方で、正直に言うとまだ定着すらしていない概念なのだということを確認しておきたいのです。 |
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| さてあらためて、「美術作品との出会い」ということについて考えてみましょう。 | |
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現在、かつてのように誰かに注文されて「作品」を作っている「作家」はまれです。もしかするとそういう人を現在では「作家」とは呼ばないのかもしれません。「作家」、つまりアーティストは誰かに注文されるのではなく、社会にとって必要だと自分が考えるテーマを表現する人のことを意味します。また人類全体に向けて表現されたものを「作品」と呼んでいるのです。 目に見えにくいものや、気づきにくい事柄を一般化するための表現方法が美術であることは、はるか昔から変わっていません。ただ非常に個人的に狭い世界で表現されていた事柄が、全世界に向けられた表現へと広がったということなのです。 では「美術作品と出会う」とはどういうことなのでしょう? 美術作品を「物」だと思ってはいけません。美術作品は表現された「物」を媒体にして「意味」を伝えようとしているのです。それは文字表現と同じです。本を読むときに、文字の形や並び方などを見るだけで内容を無視するということはありえません。美術作品も同じように作品によって何が語られようとしているのか、内容を読むことが大切です。内容に触れることが「出会い」であって、それは「表面を見る」事とはだいぶ違うのです。「出会い」とはその先の深い関係を意味する言葉です。美術作品「アート」と出会うということは、その先の人生が変わってゆくことを意味するのです。 |