◎美術の必要性:
かつて美術には明確な社会的役割が備わっていました。宗教や権力が美術を利用していた時代にあってはそれらと常に同等の社会的役割を美術は果たしていたのです。しかし時代の変化とともにそれらから分離した美術は、同時に社会的役割においても大きく変化することになったのです。
表現の自由を得た美術は作家を生み出してゆきました。 作家たちは自分自身が生きていることで感じる様々な人間的課題をそれぞれに見出し、独自の方法を探しながら美術表現してきました。特に19世紀から20世紀にかけて美術はそれまでの定義を大きく変えていったのです。
  それまでの「いかにしてありのままの現実、自然、を表現するか」という姿勢が方向性を変え、「いかにして人間にとっての現実、感じる世界を表現するか」ということが表現の主役になっていったのです。そしてその表現はどんどん抽象化されてゆきました。   例えば、目の前に花があるとして、その花をどのように感じ、どのように認識するかということは文化的背景によっても、個人的感覚によっても大きく異なってきます。1000人が見て1000通りの解釈があるとは言いませんが、10通り程度の幅は生じるものでしょう。そしてその内訳を見れば、9割くらいの人は同じ解釈をし、残り1割くらいの人々が様々な解釈をするものです。つまり一般的、常識的解釈と個性的な解釈があるのです。
  多くの場合、美術家は少数派の1割の中に属しています。一般の人が発見しないような切り口で物事を捉え、独特の価値観を表現してみせるのです。そしてその独特の解釈がそれまでの一般常識を覆してきた歴史がたくさんあります。現在の美術が担っている社会的役割は、そのように「定着してしまっている人間の価値観」をあらためて見つめ、新しい価値、より発展した価値観を築き上げてゆくために必要な「思考」を提供することにあります。そしてそのような役割は、これから先も変わることなく担われてゆくことでしょう。
美術は私たちにとってこれからも大切にしてゆかなければならない「社会的役割」なのです。
  今日的問題として考えなければならないことは、美術が担うそのような役割に対して、きちんとした必要性を社会全体が認識できていないことです。作家の行為は個人的で独りよがりなものと捉えられるか、現実離れした別世界の言動、「変人」として扱われてしまうことも少なくありません。
  美術が問いかけていることを社会がきちんと受け止め、同じ視点で深く考えるようにならなければ、美術は社会にとって不要なものと判断されかねません。これから先、美術はますます深さをまし、今以上に「社会における少数意見」になってゆくことでしょう。しかし人間の歴史は多くの場合少数の意見が築き上げてきたものなのです。