![]() 作品から見えるもの: 加地保夫は1949年、東北とは全く風土の異なる四国、愛媛県伊予三島市で生まれ育ちました。1978年に渡西し、スペイン国立応用美術学校に入学、石版(リトグラフ)を学び、1982年に岩手県陸前高田市に居を構え、以来東北の風景の中に身を置き、様々なインスピレーションを作品にしています。加地の作品に現れる形象は「樹木」「稜線」「波」などが主で、これらはどれも連続して変化する終わりのない時間の痕跡のように表現されています。風に揺らぐ樹木のような表現、連写された写真のような表現。停止することのない時間を表現要素として重要視する加地の特徴と言えます。 私たちが暮らすこの国では、西洋の町並みに見られるような時間の積み重なりや歴史の痕跡を建築物から見いだすことが困難です。なぜなら日本の木造建築は火災や湿気に弱く、人の歴史を刻みつつ、千年もの間あり続けることができる石造りの西洋建築と比較すると、非常に耐久性が低いためです。西洋では何百年も前に作られた家で、現代人が普通に暮らしていることも決して珍しいことではありません。その時々、人々が積み重ねてきた時間の層を日々感じる日常がそこにはあるのです。私たち日本人にとって同じように時間の層を感じられるものといえば、お寺や神社の参道、境内にそびえる巨大な樹木ではないでしょうか。神社の参道にそびえる巨木は、建築そのものに留めることの難しい「時間」という価値を、付加する目的で植えられたものと考えられます。例え建築物がなくなってしまったとしても、そこに樹木がある限り、時間は積み重ねられてゆくのです。私たち日本人はそうすることで自分たちの拠り所、歴史や文化を感じられる場所を支えてきたのではないでしょうか。 かつての日本には、どのような小さな村にも鎮守の森があり、自分たちの知らない歴史や時間を森や巨木のたたずまいから感じることができました。一見すると、現在そのような場所は減少し、目に見える「拠り所」は失われつつあるように思われます。しかし実はそのような「時間の蓄積」は気づいていないだけで、私たちの生活をとりまく様々な風景の中に存在しているものなのです。毎年繰り返される田植えや稲刈り。長い時間をかけて育て上げたリンゴの木。昔から伝わる漁業の方法。様々な方言…。毎日当たり前に過ぎてゆく名もない時間こそが「文化」であり、私たちの「拠り所」なのです。そしてそれらは無意識のうちに心身に蓄積され、記憶となって次の世代に受け継がれてゆくのです。 |
![]() 美術家の視点: 多くの芸術作品は普段私たちが何気なく目にし、さしたる疑問も感動もなく通り過ぎてゆく一片の日常的光景に端を発し生み出されています。そのため抽出された要素が凝縮された、いわゆる抽象的表現が一見して感動や理解に結びつかないのも無理はないのです。 美術家は私たちが関心を示すこともないような小さな出来事、光景に心を奪われ、その姿を自らの作品の内に表現することを試みているのです。そのような作品の持つ意味を考えるとき、私たちは美術家の目を通し、自分たちの日常に未知の世界が隠れていることを発見します。 今まで気付かなかった価値観、美・歴史・社会・時間・人間、そういった世界を拡大する可能性を感じさせてくれるからこそ美術は面白く、また意義深いのです。 |
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