※dipaの意味
  「dipa(ディーパ)」とは古代インドの言葉、パーリ語で「灯明・島・中洲・時流に流されない拠り所」といった意味を表す言葉です。パーリ語とは仏教の聖典に使用されている言葉で、聖典そのものを意味することもあります。
  ディーパとは人間が人生に迷った際に拠り所とする光明であり、仏教においては自己と真理(ブッタが説いた法)を意味し、盲目を打ち破り悟りを開くための知恵とされています。仏壇にともされるろうそくの炎もこの意味で形式化されたものです。
作家と作品について:
  宮井里夏は1964年、宮城県気仙沼市生まれ、現在気仙沼市在住の作家です。銅版画家として高い評価を得ている宮井は、近年版画だけではなく絵画作品も発表しています。
  絵画において光は闇とのコントラストによって表現されています。例えば白い紙に鉛筆で何かを描く場合、紙は紙以上に白くなることはありません。それでも光を感じさせるためには鉛筆によって暗い部分をしっかり描き、暗さとのコントラスト(対比)で明るさを感じさせるしかないのです。
  初期の宮井の版画作品は、画面全体が深いエッチング(銅板を薬品によって腐食させ溝を作る技法)によって奥行きを感じさせる闇のように作られ、筋のように残された白との対比が強烈な光を感じさせるものでした。「My Lost City」と題されていたそれらの作品には明確に街のイメージが見て取れましたが、後に具体的なイメージは消え、画面には光と闇の筋だけが表現されてゆきました。
  現在、宮井の作品には「dipa」というタイトルが付されています。このタイトルには仏教的な意味がありますが、作家はその言葉の意味を説明的に表現しているわけではありません。
  たとえるならば私たちの日常は大河を漂う浮き船のようなもの です。社会は常に変化し続け、時には濁流のように私たちを不安に陥れます。どこかに安心できる拠り所を求め、誰かに頼ったり、それを手に入れるために誰かを傷つけたりもします。様々なストレスが私たち現代人を取り巻いているのです。
  人は日常に流されてしまうそのような「自己存在の希薄さ」を

超える方法を身につけるため、宗教、哲学、芸術などを介し、様々な思考を重ねてきました。世界が安定し、人間が未来に向かって安らかに生きてゆくために必要な「思考の蓄積」、美術表現もまた同じように人間の未来を見つめ蓄積されてきたのです。
  宮井は、自己を惑わす様々な感情から身体を開放し、そのときに見えてくるイメージを表現しようとしています。それは仏教で言われるところの涅槃(ねはん:煩悩や執着を捨て、輪廻から開放された悟りの境地)と同様に「自らをそのようにコントロールし、作品を生み出す」、闇とのコントラストによって見える光ではなく、作家自身の「内なる光」を模索する行為なのでしょう。
  多くの生物は種の保存という命題によって「個」を自覚せずに生きています。一方、人は他の生物と違い、自分が生まれてきた理由を必要とし、己の存在を特別なものにしたいと願います。そのような意識が「個」を優先し自己防衛心となり、人をわがままにするのです。しかし私たちは、歴史、文化、社会といった複雑な環境を築き上げ、様々な命題を乗り越えてきた「人間」なのです。
  現代社会は、かつて人類が経験したことのないほど混沌としているのかもしれません。しかしそのような時代だからこそ私たちは自分自身を振り返り、「人間」がこれまで積み重ねてきた「思考の蓄積」を様々な角度から紐解き、流されることのない拠り所を築き上げてゆかなければならないのではないでしょうか。