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![]() 作品と作家について: 首藤晃は1969年、北海道生まれの作家です。弘前大学大学院教育学研究科美術教育専修を修了し、現在は青森県弘前市に在住し、鉄や木材を用いた彫刻作品を精力的に制作、発表しています。 首藤の作品は主に鉄板を加工し溶接することで生み出されています。通常ならば工場で大型機械を使って行うような作業ですが、首藤は手持ちの小さな道具だけで自在に鉄を加工してゆきます。そのためこの作家の両腕は驚くほど鍛えられており、ゴツゴツした丸太のようです。 まるで異次元の文明によって生み出され、使用法も分からない道具のような形をした鉄の作品は、作ったものというよりも「初めからそこにあった」ような、強烈な存在感を持っています。 |
作家の言葉: ここ数年、「海の記憶」をテーマに制作してきた。しかし、これは制作するにあたって予め自己で設定したものというよりは、自己の外部にイメージの源泉ともいえるような「なにか」があり、そこから受けた感覚やイメージが、生命に共通の原初的な記憶のようなものと深く関わっているような気がしており、それはそのイメージから判断して「海の記憶」という言い方が最も近いものではないかと思っているということなのである。 私の場合、制作においては、イメージを分析したり理論付けたりすることよりも、それ以前に得た初期の感覚に作品が発するものが近づくように、イメージを具体化していく作業が重要な気がしている。また、その過程で作品と自己との関係などについて考えたりもするのだが、後で気付く場合の方が多く、制作の渦中にあっては、そのような分析はほとんどあてにならないので、少し極端な言い方ではあるが、「ただ作る」というような状態が私の場合最も望ましいような気もしているのである。実際、制作していながら、作品と自分とはそれほど関係がないのではないかと思うことさえあるのだ。展示においては、作品に対する制作後の自己の解釈のようなものが反映されると思うので、自己表現と関わってくる気がするのだが、こと作品自体に関しては、どちらかというと自己の外部にある「なにか」によるものであって、真に自己の表現と言えるようなものではないような感覚を持っているのである。 これらのことから、なぜ自分は制作するのかと考えると、それは作品を通して、人が深いところで同じ記憶のようなものを共有しているということを感じてもらいたいという、自己の無意識な願いの現れであるかもしれないし、ただ単に、溜まったものをそのまま吐き出そうとする、ある種の衝動のようなものであるのかもしれないのだが、恐らく、制作をすることが私にとって必要なことであり、さらに、その根底には私個人の問題など、遥かに越えた類いのものが存在しているのではないかという気がしているのである。 (しゅどう あきら)
※N.E.blood 21 Vol.3 SHUDO AKIRA パンフレットから
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