作家の言葉:枕木について
  1964年、20才、夏、北海道へ炭鉱めぐりの旅をした。テントを背負い、炭鉱労働組合の紹介状片手にいきあたりばったりの旅だった。北海道の風景は本州と違い、フランス印象派に出てくる風景に近いと思った。空気の透明度、乾燥度が高く、見えてくる空、木々、建物の形や種類が違うのとあいまって色彩の鮮明度が高く、新鮮な喜びを覚えた。そしてアイヌ文化と日本の各地の文化と、不思議な関係を持ちながら、ここは日本だろうかという、一種の目眩にも似た旅のはじまりから炭鉱めぐりが始まった。
  大・中・小の炭鉱を見て廻ったのだが、その当時、日本近代化の中でエネルギーが石油に変わろうとした時代であり、石炭産業にかげりを見せはじめた頃だったのである。炭鉱街には赤い旗がはためき、真っ黒な炭鉱街に一種異様な色の響きをかもしだしていた。真っ黒な炭鉱街特有の臭いとボタ山の風景は、黒々としたエネルギーと、風呂へはいると真っ白な力強い肌が現れてくるのであるが、そのコントラストが異様なまでに頭に残っている。坑道の中の暗闇。坑道をささえる黒い坑柱。地圧によって坑道が狭く這って切端まで行く、つぶれかけている炭坑。
  ヘッドライトが照らし出す炭鉱夫の真っ黒な顔。巨大なマシンが鉱脈に噛み付くがごとく石炭を食し、さらに坑道の柱をつくってゆく大手の海底炭鉱。海岸に立つボタ山。そしてどの炭鉱にでもある坑道。そして運搬用の鉄道線路の下にひかれていた、「枕木」に視線はいった。この枕木は地下の世界から地上の世界にまで縦横にはりめぐらされていることに。この暗黒の世界、どす黒い枕木は、私を覚醒させるのに十分であった。近代化とは、国家とは、物質と人間の関係とは、アジアとは、民族とは、戦争とは、頭の中には、次々とかってに言葉が飛びまわり、私の血が騒ぎだしたのである。そう、この時、「人柱」イコール「枕木」と思ったのである。               
(たかやま のぼる)
※リアス・アーク美術館「高山登」展 図録から
作品について:
  線路を敷くために使われる枕木を枕木=人間と考え、作品を制作してきた高山登は、1970年代日本を代表する作家の一人です。高山の作品は一過性のインスタレーションで、通常は発表のために現場で制作され、展示期間を修了すると分解され、物としては残らない表現です。高山は30年以上にわたって年間に平均9回ほどの個展を繰り返し行ってきました。そのつど枕木が組み上げられ、そして分解されてきたのです。
  枕木は一本で約100kgあり、移動するだけでも大変なエネルギーを必要とします。多いときで200本もの枕木を使い作品を制作するこの作家は、作品制作に伴って発生する肉体労働を作品の要素として重要視しています。
  社会の近代化を支えた鉄道の発達、また石油が主体になる以前のエネルギー資源だった石炭の採掘など、華やかな発展の背後でそれを支えた多くの人々が、身を削って格闘してきた現場に累々と敷き詰められていた枕木。高山は同じように自らの体を酷使して枕木を運搬し、組み上げることで彼らに対する畏敬の念を表現しているのです。