作家について:
  齋藤隆は1943年東京都に生まれ、基本的には独学で今日の表現を身につけてきました。高校を一年で中退後、北は北海道から南は九州まで全国を放浪、生活の場、職業を転々としながらその土地で出会う人物を描き暮らしてきました。安定を求める高度経済成長期の日本人を横目にそこから全くかけ離れた生活を続けてきた人物なのです。   現在、齋藤は福島県双葉郡川内村で一人暮らしをしています。川内村は人口約3,500人、世帯数約1,000、村の約88%が山林原野という東北の田舎です。この村には天然記念物のモリアオガエル生息地、平伏沼(へぶすぬま)があり、詩人草野心平(1903‐1988、『蛙の詩』など)との交流でも知られる土地です。   調査のため2000年1月末にこの村を訪れました。齋藤の住まいは川内村の村外れ、人家などもう無いだろうと思わせる山道を進み、さらに未舗装路を山中に分け入るとようやくたどり着きます。雪の中にたたずむ住まいは情緒溢れる萱葺きの日本家屋…ではありません。トタンを当てられた普通の家。玄関にはイヌ(ハナコ)がいて盛んに吠えています。この光景を前にし、思わずニンマリしてしまいました。きっとこの作家はこういう暮らしをしているだろうとイメージしていた通りだったからです。   齋藤は長い間コンテを用いてケント紙に作品を描いてきましたが、近年は墨と和紙を使用し作品を制作しています。顔輝・禅月といった中国の画家の影響を受けながら骨董品を愛し、東北の山奥に暮らすこの作家にとって墨と和紙は必然的な到達点なのでしょう。かつてのコンテを用いた表現は西洋的で空間を感じさせるものでしたが、墨の作品は線による表現が主になり、空間も消えたように思われます。 長い放浪の時間を過ぎ、落ち着く場所を得た観のある現在、齋藤の作品はたとえるなら、「東北の養分を稔りに換えつつある」ように感じられます。もともと東京で生まれ育ち、都会化、欧米化する日常を嫌って、日本の原風景をさがし歩いた齋藤が、東北での暮らしから得たものは「変わらない日本人の生活」「自然を敬い、季節の変化とともに土地で暮らすこと」だったのではないでしょうか。   独学で始めた絵画表現は、初め、西洋美術的な方法で制作されていたのですが、制作を重ねるにつれ、少しずつ「日本的」になり、現在ではそのルーツを探るかのように中国絵画的になってきています。この作家も美術を通して自分自身のアイデンティティーを確立しようとする人の一人なのです。









時代背景について:
  齋藤が少年期を過ごした1940年〜1950年代の東京は、戦後の混乱が落ち着かぬまま加速度的な開発へと時代が突き進んでいった言わば社会変化の前線でした。一つの社会に戦前の軍国・全体主義的意識と戦後の自由・民主という概念が混ざり合い自分の立つべき場所がどこなのか解らない、実は誰もが価値観の拠り所を見失い、精神的には放浪していたのかもしれません。また青年期である1960年〜1970年代は、高度経済成長に伴い、いわゆる今日的都会化が始まり、戦前の日本人が長い間持ち続けてきた土地の意識や記憶も徐々に失われ、特に若い世代間で人間が解らなくなっていった時代だったと考えられます。こういった不安は世界中に見られ、人間の解放を訴え活動する若者がさまざまな芸術活動などを展開していました。
  それでも多くの日本人は生活の安定と引き換えに無理やり自分の足元を定める努力をしたのですが、齋藤はそういう考えを拒絶しました。実際に放浪し、立つべき場所、自分にとっての拠り所となる価値観を探したのです。立つべき場所とは「変わらない日本人の文化」だったのではないでしょうか。
  現在の日本はこれまで以上に日々大きな社会変化を続けています。そして目に見える地域文化は以前にも増して薄れつつあるように思われます。しかしそのような状況でも、心のありようとしての地域性は消えることなく各地に残っています。たくさんの方言、地域独特の食文化、何百年も続く祭り…。
  多くの土地を渡り歩き、さまざまな地方文化に触れてきた齋藤は東北に定住することを選択しました。齋藤が他の地域と比較する中で発見した東北文化の面白さ、豊かさを我々も改めて見直してゆくべきでしょう。